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2009年10月

サガルマータ

サガルマータ
サガルマータ
ネパールでの呼び名。
なんの事?
チベットでは?
チョモランマ。
ならわかるでしょ?
地球上で 一番宇宙に近い場所。
エベレスト!
さて このエベレスト。
ピーク15と呼ばれていた当時、世界の最高峰は
カンチェンジュンガという(これもヒマラヤ山脈の中の山)
山だと思われていたそうで。
ところが、英国インド測量所が ピーク15が世界一の高峰だと発見!
1865年当時の局長、
アンドリュ-ウォ-が、先代の測量局長
ジョージ エベレスト
の功績を讃え、この名前を授けた。
当時、チベット ネパールとも鎖国状態にあり、この山に登山隊が挑むのはさらに数年後になるのだが・・・・・・・・。
英国は 地球上の極点制覇を他国に破れ、
残る地上最高点制覇だけは譲れなかった。
幾度も挑戦を繰り返す中、
1924年 6月6日、マロリーと アーヴィン が初の
頂上アタック。
しかし セカンドステップと言われる岩場にいる二人が目撃されたのを最後に行方がわからなくなり帰らぬ人となる。
1953年、5月29日
エドモンド・ヒラリーとシェルパの
テンジン・ノルゲイが、南東稜からの 現在ノーマルルートと呼ばれるコースにて サウスコルよりアタック。
見事 登頂を果たす。
これが人類初のエベレストサミッターと呼ばれているが、
さて マロリーとアーヴィン。
1990年代に遺体を探す企画が持ち上がった。
エベレストには 沢山の遭難者の遺体が そのまま転がっているらしいのだが、ついにマロリーの遺体が発見される。
が 持っていたコダックのカメラが見つからない。
これが見つかれば、マロリー達は登頂したかどうかという永遠の謎に終止符が打たれるはずだが、謎のまま。
エベレストでは 遺体が 腐敗せずミイラ化している遺体だらけだそうで、
写真も見たがかなり不気味である。
現代、エベレストには多数の登頂ルートがあるが、一番有名で一般的なのがノーマルルートの南東稜からのルート。
ベースキャンプより、クンブ氷河の難関のアイスフォールを登る。
ここは ビルの倍もあるようなセラックと呼ばれる氷柱が並び、間にはクレパスがあいているそうだ。
で、よくセラックが崩れ、その時登っている人間は雪崩に巻き込まれ犠牲者が出る。
アイスフォールを登りきるとウエスタンクウムという盆地にでる。徐々に高度を上げながら 突然向きを変え、ローツェフェースと呼ばれる急な斜面を登る。ローツェとはエベレスト南東稜とつながる8000M峰だが急斜面をトラバースしてサウスコルに辿り着く。
ここが山頂アタックに向かう最終キャンプとなる。
ここからは数々の悲劇が生まれた デス・ゾーンと呼ばれる7500M以上の
死の領域である。
空気は地上の3分の1しかなく、一般人ならば酸素ボンベ無しでは ものの10分で命を落としてしまうそうである。
サウスコルを出発し南東稜を上りバルコニーと呼ばれる広場を抜け、南峰を越え 最後の難関。
ヒラリーステップと呼ばれる岩場を登りきると もうすぐ山頂である。
が 山頂に着いてノンビリできないのが エベレスト。喜びもつかの間、すぐに迅速に下山をしないと命にかかわるのだ。
実は遭難事故の7割が下山時に起きている。
1996年5月。
ロブ ホール隊 と スコット フィッシャ−隊 の二つの商業登山隊が 下山時天気の急変に遭遇し さらに台湾隊なども巻き込まれ史上最悪の大量遭難が起きたのである。
十数名の人間が 結果的に無くなるのだが
その中には 日本人の 難波康子さん も含まれていた。
彼女は セブンサミッターと言われる世界七大陸最高峰登頂者を目指し、残る最後のエベレストに登頂。
その下山時に第四キャンプ(最終キャンプ)のサウスコルまで着て、ついに動けなくなりキャンプのすぐ近くでブリザードにより命を落としてしまう。
この大量遭難の話は
ジョン・クラカワ−著
空へ
を 読んでいただきたい。ロブ ホール隊に参加し、命を落としかけた一人、クラカワ−の体験は壮絶である。

なんて 普段 あまり書かない事書いてみたけど、自分には一生縁のない世界。
けどね〜 野口健さんのblog読んだり
本を読んだりしているとエベレストやヒマラヤの 地名に思いを馳せる。
死と隣り合わせの世界で 毎年何人もの犠牲者が出る山の世界。
憧れませんか?
エベレスト登山には やく二ヶ月の暇と750万円ほどの費用がかかりますけどね〜(>_<)。
それだけでなく その前から イロイロな高峰に登り、高度順化をしなくてはなりません。
何故山に登るのか?
そこに山があるから。
有名な言葉ですが、この山は エベレストの事です。
マロリーが遠征前に記者に聞かれて答えたのですが、エベレスト登山とは凄まじい。
そんな簡単なものではなく、お金 や 暇、体力、運が一番大変やなぁ。
日本人では 植村直巳氏が初登頂してますね。
世界史上でも五番目だったと思います。
あのアルピニスト野口健氏は 三度目の挑戦でやっと成功したそうです。
山頂で涙を流したそうですが 感動の涙かと思いきや これからの下山の大変さを思い 恐怖感などで涙したのだとか。
いかに下山が危険か という事ですね。
興味のある方は 是非エベレストを調べてみては?
あ!そうそう 画像の二人の登山家!
実は この後初登頂を果たす直前の
ヒラリーとテンジンだそうです。

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金長 阿波狸合戦!

金長 阿波狸合戦!
金長 阿波狸合戦!
金長 阿波狸合戦!
この話、昔から好きでしてね、私の郷里、徳島県小松島市に昔から伝わる金長狸の伝説。とても悲しくも勇壮なる狸の神様の話です。

天保8年(1837年)。阿波の日開野(現・小松島市)で、大木の中に棲んでいる金長(きんちょう)という狸を大勢の者が燻り出そうとしていた。そこを通りかかった染物屋・茂右衛門は金長を哀れに思い、その者たちに金を与えて金長を救った。
しばらく後、茂右衛門の家へ奉公に来ていた万吉という少年が自らを「金長」と名乗り、守り神として店のために尽くすと言い出した。茂右衛門に恩義を感じた金長が万吉に憑いたのであった。以来、茂右衛門の店は良い仕事や良い客に恵まれるようになった。また、仕事で迷うことがあると万吉が助言をし、その内容は必ず正しかった。こうして茂右衛門の店は繁栄し、金長の評判も高まっていった。
何年かがたち、金長は「自分はまだ無位無官の若造」と言い、狸としての位を高めるため、子分の藤の木の鷹(ふじのきのたか)と共に、名東郡津田浦の化け狸・六右衛門(ろくえもん)に弟子入りした。六右衛門は四国の狸の総領であったが、人を化かして物を奪うなどの悪事を働く狸であった。六右衛門は噂に聞く金長の才覚を早くも見抜き、案の定、厳しい修行の最中でその才覚はめきめきと伸びていった。子分の鷹ですら、六右衛門
の息子の千住太郎(せんじゅたろう)を上回るほどだった。
六右衛門は密かに金長を恐れ、今の内に身内に加えようと考えた。丁度、六右衛門の娘の小安姫(こやすひめ)が金長に恋焦がれていたこともあって、金長に対し、小安と結婚して自分の養子として跡を継ぎ、千住太郎の後見人になることを勧めた。しかし金長は、茂右衛門への恩を返すまでは他のことに気を使えないとして辞退。殊勝な言い分に六右衛門も反論できず、日開野へ帰っていく金長と鷹を見送るしかなかった。
しかし六右衛門配下の狸は、金長をこのまま帰してはいずれ大きな脅威に育つ、身内に入らないのなら片付けるべきと助言。頷いた六右衛門は数十匹の狸を金長たちのもとへ放った。小安からの報せで闇討ちを知った金長と鷹は追っ手を迎え撃つ。腕に覚えのある金長たちではあったが、2匹では多勢に無勢。鷹は倒れ、かろうじて金長のみが日開野へ逃げ遂せた。
金長は仇討ちのため仲間の狸たちを呼び集めた。早速、鷹の息子たちが父の弔い合戦のために駆けつけ、日頃から六右衛門の非道ぶりを好ましく思っていなかった狸たちも立ち上がった。一方で六右衛門側では、娘の小安が父の闇討ちを非難し、金長が死んだら自分も生きてはいないとまで言ったが、六右衛門はこれを嘲笑。小安は遂に自分の命をもって父を咎めるべく自刃するが、娘の死は金長に対する六右衛門の憎悪を増長させるだけでしかなかった。また金長も自分を愛してくれた小安の死を知り、六右衛門
討つべしとの決意を固めた。
勝浦川を挟み、金長軍総勢600匹余り、六右衛門軍総勢600匹余りが対峙した。こうして俗に「阿波狸合戦」と呼ばれる狸の2大勢力の壮絶な戦いが幕を開けた。
勝浦川下流を舞台とし、死闘は3日3晩に及んだ。空に叫び声がこだまし、川の水は血で真っ赤に染まり、川床は狸たちの死体で埋め尽くされた。弔い合戦故に押しの強い金長軍に対し、六右衛門軍は籠城作戦をとった。守りの堅い城を相手に金長軍は手も足も出ないかに見えたが、遂に門を突破し、城内での血みどろの激闘の末、遂に金長は六右衛門を討ち取った。だが金長もまた、刀による致命傷を負った。金長は死力を振り絞って日開野へ帰り、大恩ある茂右衛門に礼を述べ、力尽きた。
これで合戦は終わったかに見えたが、六右衛門の息子・千住太郎が修行先の屋島の禿狸のもとから急遽駆けつけ、敗れ去った六右衛門軍を再召集して日開野へ攻め入ろうとした。金長軍もやむなくこれを迎え討ち、合戦が再開されたが、そこへ屋島の禿狸が仲裁に入り、ようやく合戦は終結を迎えた。
金長は後に、その生き様に心を打たれた日開野の茂右衛門によって正一位金長大明神として祀られた。
現在でも金長大明神は小松島市中田町の金長神社に祀られ、崇拝者たちに厚く信仰されている他、各所に狸の銅像が飾られて人々に親しまれている

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ありゃ!?

ありゃ!?
ありゃ!?
こんなん 出てきた〜!
記憶から忘れさられていました。
約一年前〜。
拓郎のシャツなんて買いもしないくせに ハハハ。泉谷さんのは チャッカリでした。
着てないな まだ

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Xデー

いよいよか。拓郎は 言ってます。旅に出ろ!と。
旅立ちました。
ん? あれ? 今日も夜勤だよ プププ

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常鮨

常鮨
常鮨
常鮨
昨晩は 根津(またかいっ!)
シガラボ先生と私と相方三人で 常鮨へ。
先生の紹介なんですが 80歳くらいの親父さんが一人で切り盛りしてますが
なんともいえない良い雰囲気です。
最初は刺身をいただきまして、赤貝など自分で剥いてるそうで、なんとも美味!
握りもいただきましたが うまいなぁ。
マグロ中トロもトロピカル!
先生ご馳走様でした。
その後 いつものウサギに行き シマアジ食べておしまい。
夜中に 腹痛くて (泣)。何故 俺だけ・・・・・。
しかし美味しいお寿司でした。

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